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ソロー残差について その1

長期投資家は、自国や世界の長期的な経済成長を仮定して、投資を続けていますが、そもそも、何故、経済が成長するのか、経済を成長させる要素は何なのかということは、実のところ、はっきりと分かっていないようです。

経済成長の源泉がよく分かっていなくても、経済さえ長期的に発展すれば、長期投資家にとっては問題なく、何が経済成長の源なのかというのは学者が議論すればよいのだとも思えます。ただ、経済の成長というのは、投資に限らず、日常生活にも大きな影響を与えるので、全く無視してしまうのも賢明ではないでしょう。

このブログのテーマは投資なので、経済関連の書物を読まれる読者が多いと思います。特に、長期的な経済動向について予想するような類の書物には、経済成長の三要素として、労働、資本、技術進歩という用語がよく出てきます。人口が減少することによって、労働力が低下するので、日本の経済成長は鈍化するだろうというような文脈が代表的なものです。

経済成長の三要素のうち、労働と資本は直感的に理解しやすいのですが、技術進歩というのは、理解しにくく、実のところ、経済学的にも確立された概念とはいいがたいようです。

そうすると、経済成長という非常に重要な現象が技術進歩という曖昧な概念で説明されたり、予想されたりすることになりそうですが、それが事実だそうです。

例のアメリカのITバブルのときにも、アメリカの経済成長の理由は技術進歩であり、その技術進歩はITによってもたらされたものだ、従って、日本もIT革命に乗り遅れるなというような論理展開がよく見られましたが、事後的に見れば、それは単なるバブルであったり、公的期間による成長率のごまかしであったと考えるのが妥当でした。

また、日本の経済成長予想においても、経済成長の三要素のうち、人口減少によって労働力が低下するが、技術を進歩させれば日本の経済を成長させることは十分可能だというような論調の予測記事がよくあります。

しかし、経済成長が労働・資本・技術進歩によってもたらされるというのは、あくまで仮定であり、特に、技術進歩は、労働と資本だけでは説明できない部分を仮にそのように呼んでいるだけだということには注意しておく必要がありそうです。

労働と資本だけでは説明できない部分は、ソロー残差(Solow residual)と呼ばれており、重要な割りに、その正体がよく分かっていないそうです。

ソロー残差の正体がよく分かっていないということは、長期投資家にとってはかなり重要な問題で、常に頭に留めておくべきことかもしれません。

日本語版のWikipediaにはなかったので、英語版のWikipediaを引用しておきます。

ソロー残差について(Wikipediaより)

ところで、このソロー残差の正体を解明する手がかりとなる論文が、INSEADの研究者から比較的最近出されたようなので、ご紹介したいと思います。INSEADと言うと、当ブログの相互リンク先である世界級ライフスタイルの作り方の管理人であるLa dolce vitaさんの出身校ですね。

(続く)

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意味のある公共事業とは何か? その1

原田泰氏によると、政府のお金の使い方は、結局、公共事業と再分配のいずれかしかないそうです。この考え方によれば、「コンクリートから人へ」という民主党のスローガンは、お金の使い方を後者に絞ろうということです。

これに対して、「いや、再分配では成長しないから、公共事業をすべきだ。」という考え方があります。自民党の守旧派や亀井氏などです。民主党の小沢氏もこの系列に属するといえます。公共事業推進派の特徴は、「人相が悪い」ことです。

公共事業推進派は、はっきり言って、国民に人気がありません。民主党が失策続きでも、自民党の支持率が伸びないのは公共事業に頼る経済運営に戻るのはいやだと思っている人が多いからだと思われます。

しかし、再分配というのは、政府から国民にお金が渡るときに生産活動を伴わないので、再分配重視の政策に切り替えるのであれば、意味のある公共事業は存在しないことを証明すべきでしょう。不存在証明は難しいので、実際には、意味のある公共事業が存在することを公共事業推進派が証明すべきです。


そう言うと、以下のような発言が飛び出し始めるのが常でした。

A:M県に高速道路の建設が必要である。
B:治水対策にダムが必要だ。ムダなダムなどない。
C:山陰新幹線の建設。当然、全線フル規格だ。
D:電気自動車時代到来の前に、原子力発電所の建設。これしかない。
E:成田空港への新幹線の延伸。

それで、「上の発言と発言者を正しく結びつけよ。」という問題を出せば、小学生でも分かるという構図です。

正解は、
発言A=M県知事
発言B=ダム建設業者が支持基盤の政治家
発言C=島根県選出の政治家
発言D=原子力発電所の建設を得意とする企業のトップ
発言E=千葉県知事

これらの発言は、意味のある公共事業ではなく、自分が利益を得ることができる公共事業を羅列しているだけです。従って、こういう発言を繰り返すだけでは、国民の公共事業に対する嫌悪感は払拭できません。

では、どうすればよいのかということですが、「マクロ経済学的に意味のある公共事業とは何かを定義し、その作業の後で、定義に合致する公共事業を探していく」という作業を行う必要があると思います。

推理小説でたとえるならば、各人が自分の嫌いな人間を好き勝手に犯人呼ばわりするのではなく、綿密な推理で犯人像を描き出し、その犯人像に合致する容疑者を絞り込んでいくという作業が必要なわけです。

各人が好き勝手に犯人呼ばわりする状況では、声が大きい人間の意見が通るので、これまでの公共事業推進派の政治家は「押しが強くて、人相が悪い」タイプが多かったのでしょう。

名探偵役をこなせそうな政治家はいるのでしょうか?

(続く)

均衡予算定理について その6

均衡予算(乗数)定理について検討しています。

民主党のスローガンは、「コンクリートから人へ」です。コンクリート業界から批判がきたらしいですが、これは一種の比喩なので、むきになって反論するのも大人気ないのではないでしょうか?「コンクリートから人へ」というスローガンは、経済学的には、「国の役割を公的固定資本形成から再分配へシフトさせる」ということでしょう。

均衡予算(乗数)定理は、その年の政府支出を全て税金で賄う均衡予算を前提とした場合、政府支出の分だけ総生産が増える(つまり、乗数が1である。)というものでした。

均衡予算定理に対する批判として、以下の論説を以前に紹介しました。

-----------------------以下引用-------------------
前回は、ケインズ理論の「乗数効果」についての標準的な説明を紹介した。「乗数効果」とは、財の需要が供給可能量まで達しない状態で均衡しているとき(つまり不完全均衡のとき)、政府が税金を徴収してそれと同額の公共事業を実施すれば、総生産が同額だけ増加し、その分追加的雇用が発生して失業が解消し、所得が増加し景気がよくなる、そういうものだった。重要なのは、このメカニズムでは「公共事業の内容は問われていない」、という点である。それこそケインズのいう「穴を掘ってはまた埋める」ような公共事業さえ同額の効果があるように見える。だが、そんな「魔法のようなこと」が世の中に本当にあるのか、とまっさきに疑うのが科学的な態度というものではないか。しかし、この「乗数効果」は長い間問題にもされず、大学で平然と教えられ、公務員試験で堂々と出題され続けてきたのだ。かくいうぼくも、何かおかしい、と感じながらもきちんと検討してこなかったのだから、もちろんこれをとやかくいう資格はない。
ところがつい最近、このことをはっきりさせた論考がやっと現れた。それが第4回で書評した小野善康『不況のメカニズム』であり、その大元になっている学術論文はこれである。小野は、「内容を問わない公共事業」の乗数効果なんかまやかしであり、そんなものは存在しない、ということを論証した。つまり、魔法なんかインチキだ、という「オズの魔法使い的おとしまえ」をつけたのである。小野の議論をおおざっぱにまとめると次のようになる。(詳しくは論文でどうぞ)。
IS-LM理論での混乱は、「お金の流れ」と「実効的な生産」とをないまぜにしている点にある。
前回、「乗数効果」を証明するときに使った2つの式
 [総生産]= [消費]+[投資]+[政府支出]・・・(3)
 [総生産]=[国民所得]= [消費]+[貯蓄] +[税金] ・・・(4) 
を思い出そう。この式では、政府が「税金」を徴収してそれを国民に返すだけで(3)と(4)で同時に同額だけ[総生産]が増える。ここには「その税金で何が行われたか」が問われない。これが、「あたかも無駄な公共事業でも総生産が増える」かのように見えるという詐術の出所なのである。つまり、(3)という総生産を定義する国民会計にバグがあった、単にそういうことなのだ。
このことをもっとはっきり理解するために、次のような思考実験をしてみよう。今、政府は1億人の国民から1人10万円ずつ税金を徴収する。次に、政府は国民に対して、印鑑を持って最寄りの役所に出向けば、「その労働」に対して10万円の報酬を払う、と告知する。するとどうなるだろう。「役所に出向くという労働をさせる公共事業」によって国民に1億×10万円=10兆円の所得が発生する。したがって(3)でも(4)でも総生産と国民所得は10兆円増加することになるわけだ。だけど、よく考えてみよう。ここで起きていることは、国民各自から10万円が政府に行ってまた戻ってきただけだ。実際的な生産物には何も変化が起きていないのだ。これが「無駄な公共事業による乗数効果」のからくりなのである。単に「会計上で、あたかも所得が増えたように見える」だけの話なのである。会計の取り方に致命的な欠陥があるわけだ。(系列会社の間で資金を行き来させて売り上げの水増しをはかる粉飾決済ってのが、このからくりだよね?)

(中略)

ここで注目して欲しいのは、家計が生産に携わった報酬として得た貨幣で生産物を企業から同額で買い戻す構造が導入されていることである。これは、「貨幣所得と同価値の生産物が生産された裏付け」であり、政府部門を考えるときの重要なベンチマークとなる。

ではその政府部門を導入してみよう。
いま、政府部門が税金を貨幣で徴収して(その額を[税金]と記す)、何らかの公共事業を実施し、労働者に同額の報酬を支払ったとしよう。このときの国民の所得をきちんと考えるのがポイントだ。国民全員でみれば、私企業の生産に従事した報酬の分である[生産]と公的部門の生産に従事した報酬の分である[税金]の合計額を貨幣所得として受け取り、[税金]の額を納税するので、差し引きの所得(可処分所得)は結局[生産]と同じである。したがって、均衡は、(7)の水準からなんら変更されない。つまり、企業の生産量は不完全均衡の生産量Y*から全く変わらないのだ。したがってもちろん、国民所得(可処分所得) も政府が公共事業をしない場合の所得だったY*となんら変わらない。ちっとも景気などよくならないのである[*5]。

では、総生産はどうなったのだろうか。私企業の生産した価値Y*に政府の生産物の価値を加えたものが総生産である。IS-LM理論では、ここで直接[税金]の額を加えてしまうから誤謬が起きるのである。冒頭の思考実験で説明したことと同じことが、このモデルでも生じていることに注意しよう。ここまでに記述されているのは、国民から政府に[税金]分の貨幣が流れ、そして、戻ってきたことだけである。ここには、それと同額の「価値」が生産された保証は全くない。なぜなら、私企業部門では、さきほど太字で書いたように、財と貨幣の交換が起きているからいいのだが、政府部門では政府の生産物の国民による貨幣での買い戻しは生じていない。したがって、政府の生産物が、政府の支払った報酬通りの価値のあるものであることの保証はこのモデルには存在しないのである。さきほどの例のような「役所に出向くという労働」程度のものなら、その生産物の追加する価値はゼロとしていいだろう。このとき、国民所得も総生産も増加量はゼロであり、乗数効果など幻にすぎないのである。

---------------------引用終了---------------------
http://wiredvision.jp/blog/kojima/200707/200707241130.htmlより引用

さらに、以前のブログの記事とNTさんからいただいたコメントを引用します。

A国-国家が介在しないとき
 生産:米1万俵
 所得:1万両

A国-国家が介在するとき
 国民は、所得1万両の10%に当る1,000両を税金として国に納める
  ↓
 国は、集めた税金を支出して、公共事業を行う
  ↓
 国民が国に納めた税金は、公共事業支出を通じて国民に戻ってくるので、所得は不変
→均衡財政が前提なので、その年に納めた税金はその年に国民に戻ってきます
  ↓しかし
 公共事業で公共建造物が増える
  ↓従って
 生産:米1万俵+公共建造物
 所得:1万両

確かに、国家が介在しないときに比べて、公共建造物の分だけ総生産が増えています。一般に景気が上向くというのは、総生産が増加することなので、総生産の減少が著しいときには(まさに、現状がそうです。)、国家が介在すべきだという結論になりそうです。均衡予算定理がいっていることはそういうことです。税金を納めて、その税金が戻ってくるのだから、国民には損得なしで意味がないように思えるかもしれないが、公共建造物の分だけ総生産が増えるから意味がないことではないのだよという主張です。しかし、ここでの検討事項は、建造された公共建造物の価値を政府支出の額で代替させてよいかということです。より具体的に言えば、1,000両で建設した公共建造物が「麻生太郎の像」であっても、総生産が増加したと喜んでもよいのかということです。


------------以下、NTさんのコメントから引用-------------
いつも楽しく拝見させていただいております。

私も経済学は専門ではありませんが議論の種にコメントさせていただきます。
長くなってしまいましたので、参考までにということで、返信コメントはいただかなくても構いません。

まず、後者の場合(公共事業を行う場合)、
1000両の公共事業を行うための、労働力が問題になるのではと思います。

失業者が存在する仮定であれば、1000両の公共事業を行っても、
米を生産する農家はそのまま米を生産し、失業者が公共事業に従事すれば、
確かに公共事業分だけ総生産はアップします。
ちなみにこの場合、農家にとっては徴税により所得が失業者に移転するので、
物価が変わらなければそれだけ貧しくなることになります。
→<ケースA>

一方、農家が農作業の合間に公共事業を行ったとすると、
徴税分が新たな所得として返ってくるので、最終的な所得は同じになります。
→<ケースB>


今度は物価について考慮すると、
合計所得が一定なので、総生産に物価が反比例すると仮定すると、
物価は総生産の増加により、10000/11000=10/11と下落します。

<ケースAの場合>
農家:所得9000÷価格10/11=購入可能な生産物9900
失業者:所得1000÷価格10/11=購入可能な生産物1100
                         合計:11000
と、農家の豊かさは公共事業を行わない前者のケースとほぼ変わらず、
失業者が得られる所得分が経済全体として発展したと言えます。

ただし、この物価の下落は、公共事業により生産された生産物の価値が
本当に11000両の価値があることが条件になると考えられます。
首相像の参拝価値が0だとすると、誰も参拝料にお金を払わないので、
お金はお米の購入のみにまわり、実質の生産物の価値は10000両で、
価格は従前と変わらず、農家は徴税の分だけ貧しくなり、
その所得が単に失業者に移転しただけということになります。

<ケースBの場合>
同様に、実質の生産物の価値が11000両であれば、
物価が下がった分だけ農家は豊かになりますが、
それは、余計に労働した代償でもあります。

そして、公共事業に実質的な価値が無ければ、
物価は変わらないので、得られる生産物は前者のケースと同じですが、
結局、首相像の建設に無駄な労働を強いられただけになります。


つまり、まとめると、公共事業自体に実質的な価値が無いと、
構成員間の所得の調整にはなっても、
社会全体が豊かになるわけではないということです。

長期的な平均を取れば、実質的な価値に基づく総生産が、
社会の構成員の受けられる恩恵(消費)の合計になると思うので、
公共事業をやるにしても価値を生み出せるものをやらないと
無駄な労働を社会が行ったことになります。

ただし、今回の均衡予算の議論からは離れると思いますが、
価値の無い公共事業であっても、
時間的な(世代間の)所得の移転機能により、
景気を調整する機能はあるとは思いますが。
--------------引用終わり---------------

均衡予算定理は、マクロ経済学の教科書や公務員試験のテキストに必ず載っています。繰り返しになりますが、均衡予算定理の帰結は、税金を徴収して、同額の公共事業をすれば、常に(別の言葉で言えば、公共事業の内容は関係なしに)、政府支出の分だけ総生産が増えるということです。公共事業の内容は関係なしに、とにかく支出すればよいというのですから、政治家のレベルは低下し、役人は予算を使うことだけに熱中する(予算を使えない役人は、無能呼ばわりされる)と予想されますし、現にそのようになりました。

国民は、そのことに怒り狂い、民主党は再分配重視型の政策に切り替えたわけです。この再分配重視型の政策は、成長戦略がないということで、投資をしている人には概ね不評のようですが、均衡財政の維持という観点からすると、財源を税金に求めずに、国債を乱発していることに大きな問題があると思われます。

ところで、公共事業を捨てて再分配重視型の政策に転換するのであれば、意味のある公共事業はないことを証明する必要があると思われますが、この点はほとんど議論されていないようです。前記の小島教授の論説と小野教授の著作「不況のメカニズム」で引用されていたケインズの言葉を参考にして、「意味のある公共事業があるとすれば、それは何なのか?」について検討してみたいと思います。

ケインズの言葉:デフレ下において有用な公共投資は、金の採掘である。(注:当時は、金本位制であった)

(続く)

公債特例法について その2

消費税増税の議論が為されるたびに、議論はするが、自分の内閣ではやらないというパターンが定着しています。財政の均衡を目指すというのであれば、消費税増税をすべきという結論になりそうですが、そうではないのでしょうか?

あまりにも現実と法律が解離しているので、国民も、赤字国債を発行してはならないという法律があることすら知らないのかもしれません。もう一度、復習しておきましょう。

財政法第四条  国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

国の財政も、家計と同じで、給料の範囲内でやりくりしなくてはならず、サラ金に手を出してはいけませんというのが、財政法第四条本文です。財政法第四条但し書きは、例外として、住宅ローンに限っては、将来の収支を見極めた上で借金してもOKというようなものでしょうか。要するに、借金をしてはいけないというのが、国家財政運営の基本原則ということです。

「ちょっと待って。そうすると、ニュースとかで流れている国の借金800兆円というのは何なの?」という疑問が湧いてきます。借金はしてはならないという法律があるのに、国の借金が膨れ上がっているというのは変ですが、それを法的に可能にしているのが公債特例法です。

平成16年度の公債特例法
(目的)
第一条 この法律は、平成十六年度における国の財政収支の状況にかんがみ、同年度における公債の発行の特例に関する措置、国民年金事業の事務費に係る国庫負担の特例に関する措置、厚生保険特別会計年金勘定及び業務勘定の歳入及び歳出の特例に関する措置並びに国家公務員共済組合の事務に要する費用の負担の特例に関する措置を定めることにより、同年度の適切な財政運営に資することを目的とする。

(特例公債の発行等)
第二条 政府は、財政法(昭和二十二年法律第三十四号)第四条第一項ただし書の規定により発行する公債のほか、平成十六年度の一般会計の歳出の財源に充てるため、予算をもって国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行することができる。
2 前項の規定による公債の発行は、平成十七年六月三十日までの間、行うことができる。この場合において、同年四月一日以後発行される同項の公債に係る収入は、平成十六年度所属の歳入とする。
3 政府は、第一項の議決を経ようとするときは、同項の公債の償還の計画を国会に提出しなければならない。
4 政府は、第一項の規定により発行した公債については、その速やかな減債に努めるものとする。

平成22年度の公債特例法
(目的)
第一条 この法律は、平成二十二年度における国の財政収支の状況にかんがみ、同年度における公債の発行の特例に関する措置、財政投融資特別会計財政融資資金勘定からの一般会計への繰入れの特例に関する措置並びに外国為替資金特別会計及び食料安定供給特別会計調整勘定からの一般会計への繰入れの特別措置を定めることにより、同年度の適切な財政運営に資することを目的とする。

(特例公債の発行等)
第二条 政府は、財政法(昭和二十二年法律第三十四号)第四条第一項ただし書の規定により発行する公債のほか、平成二十二年度の一般会計の歳出の財源に充てるため、予算をもって国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行することができる。
2 前項の規定による公債の発行は、平成二十三年六月三十日までの間、行うことができる。この場合において、同年四月一日以後発行される同項の公債に係る収入は、平成二十二年度所属の歳入とする。
3 政府は、第一項の議決を経ようとするときは、同項の公債の償還の計画を国会に提出しなければならない。
4 政府は、第一項の規定により発行した公債については、その速やかな減債に努めるものとする。

要するに、借金がだめだという原則は分かっているけれど、家計が苦しいので、特例として、今年だけはサラ金から借りてもいいことにします。しかし、あくまでも借金がだめだという原則は依然として存在しているので、「その速やかな減債に努めるものとします」と宣言しています。でも、毎年家計が苦しいので、特例が原則のようになってしまい、平成16年度の法律も、平成22年度の法律も、文言はほとんど変わっていません。

麻生政権時代に、金融危機対策のために、麻生氏が「赤字国債の発行も辞さない」と発言しましたけれど、既に膨大な赤字国債(公債特例法の第一項の規定により発行した国債)が発行されているのですから、「辞さない」という表現は不適当です。議論が完全によじれています。

結局、法律と実態がこれほど解離しているわけですので、そろそろ、実態を法律に合わせるのか、法律を実態に合わせるのか白黒つけるべきでしょう。

あくまでも、財政の均衡は維持すべきであり、実態を法律に合わせるべきだと考えるとすると、増税か、政府支出の削減か、あるいは両者の組み合わせという政策になりそうです。しかし、デフレ状況にあるときに、そのようなことをしてもよいのかという疑問は当然湧いてきます。

(続く)

公債特例法について その1

海外投資ブログを名乗りながら、国内経済の話が多くなっていますが、国内経済の状況によって、海外投資割合が決まってくるので、海外投資と無関係な話題ともいえないように思います(と言い訳しておく)。

えんどうさんからご紹介いただいた野口教授の記事に、日本銀行による国債の直接引き受けは、国会の議決があれば可能だということが記載されていました。それはそのとおりなのですが、それ以前の問題として、第4条には、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」という規定があります。野口教授は、普段は財政出動に極めて否定的だったと記憶しています。それが、不況が深化すると、急に財政法5条但し書きを持ち出して「日本銀行による国債の直接引き受け」を検討し始め、財政法4条の規定を無視するのは、かなりご都合主義なのではないでしょうか?

財政法4条本文の規定によれば、国の歳出は税金で賄うべきであり、例外的に、公共事業費などの財源については、国債で賄えることになっています。その趣旨は、公共事業というのは将来にわたって国民に便益を与えるのだから、国債で賄ってもよいのだということだと思われます。

そうすると、いわゆる赤字国債(正式には、特例国債)は発行できないはずですが、実際には、公債特例法によって、赤字国債は発行されまくっています。

(特例公債の発行等)
第二条  政府は、財政法 (昭和二十二年法律第三十四号)第四条第一項 ただし書の規定により発行する公債のほか、平成二十年度の一般会計の歳出の財源に充てるため、予算をもって国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行することができる。
2  前項の規定による公債の発行は、平成二十一年六月三十日までの間、行うことができる。この場合において、同年四月一日以後発行される同項の公債に係る収入は、平成二十年度所属の歳入とする。
3  政府は、第一項の議決を経ようとするときは、同項の公債の償還の計画を国会に提出しなければならない。
4  政府は、第一項の規定により発行した公債については、その速やかな減債に努めるものとする。

第2条第4項には、「第一項の規定により発行した公債については、その速やかな減債に努めるものとする」とありますが、公債特例法は同じ文言のまま、毎年コピー&ペーストされて制定され続けています。

(続く)

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