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Critical thinking その6

「学校教育における奉仕活動の是非」について検討しています。

問い:一般論として、奉仕活動を国民の義務とすることは許容されないとしても、教育の一環としてなら、奉仕活動を強制してもよいのではないか?

新聞のアンケートを見る限りでは、この問いに関しては、肯定派が多数派です。

主な理由は以下のとおりです。

理由付け①:そもそも教育は強制から始まるので許容される(曽野綾子など)。

理由付け②:最初は強制から入っても、最後に自発的に奉仕活動をするようになるので許容される。

これらの理由付けが正しいかどうか、Criticalに検討してみます。

理由付け①について
「あいさつすること、朝起きたら顔を洗うこと、6歳の4月から学校へ行くのも全部強制」(曽野綾子談)だから、学校教育で奉仕活動を強制してもよいという趣旨の理由付けです。奉仕活動の是非に限らず、論理的に考えることが苦手な人は、このような理由付けを好みますが、理論的にはこの理由付けは、理由付けになっていません。

「学校教育において奉仕活動を強制させることの是非」を検討する場合、「奉仕活動をさせること」を、「九九を覚えさせること」などと同列に扱えるかをまず検討する必要がありますが、曽野綾子の理由付けでは、強制できるという結論のみが述べられているだけで、何故奉仕活動をさせることを、これらの行為と同列に扱えるのか、その理由が全く述べられていません。つまり、理由付け①は、単に強制してもよいという結論だけをいっているに等しいといえます。

そこで、「奉仕活動をさせること」と「九九を覚えさせること」を同列に扱えるかどうかについて検討する必要がありますが、前者は恩恵を受けるのが他人である(利他的行為)のに対して、後者は恩恵を受けるのが本人であるという大きな違いがあることに気づきます。奉仕活動をしなくても本人は困りませんが、九九を覚えていなければ本人が困るからです。この意味で、「奉仕活動をさせること」と「九九を覚えさせること」には質的に明瞭な違いがあります。「学校教育における奉仕活動の是非」について検討する上で、これが最も重要な点です。

従って、教育だから許されるというためには、次の問いを検討し、これを肯定する必要があります。

問い:自立のための学習以外に、社会や国家に奉仕することも学校教育の目的に含めてよいか?



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