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カルロス・ハッサンの「今日の一言」に裁判員制度についての記事が掲載されています。
裁判員制度に対しては国民の反対意見が強いですが、反対する理由は、国民の負担が重いとか、素人の裁判は信用できないなど、法的に見ると、全く本質を外れた理由ばかりです。
新聞の社説などを見ても、納税の義務、勤労の義務、教育の義務と並んで、4つ目の義務が出来たという書き方が多いですが、納税の義務と裁判員になる義務を比較した場合、両者は質的に全く異なる義務であることを認識する必要があります。
納税の義務というのは、封建時代で言えば、農民の義務でした。つまり、納税の義務は、支配される者(被治者)が負う義務です。
これに対して、裁判員として司法権を行使する行為は、明らかに、支配する者が国家権力を行使する行為です。
従って、納税の義務が憲法上の国民の義務であることが明記されているとしても、そのことから、質的に全く異なる義務である裁判員になる義務を国民に課すことができるという結論を導くことはできません。
裁判員になる義務を国民に課すことが法的に許容されるというためには、別途、現行憲法下で直接民主制を採用することができるかという、非常に大きなテーマを検討する必要があります。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」(日本国憲法前文より)
「権力は国民の代表者がこれを行使」するという原則は、言い換えれば国民が直接国家権力を行使すること(直接民主制)を現行憲法は予定していないということです。
問題は、現行憲法はなぜ直接民主制を予定していないのかということですが、これについては、次回の記事で検討したいと思います。
裁判員制度は非常に大きな問題を内包した制度ですが、それとは別に、このような制度が採用された際に、制度に対して寄せられる国民側からの批判のレベルが小中学校の学級会での発言レベルと本質的に大差がないという事実にこそ大きな不安を感じます。
<参考図書>
著者は、元判事で現在大学教授をされている方です。
裁判員制度の最大の問題点は、やはり構成員が自分の意見を主張し、また反対意見に感情的にならずに反論できるかに尽きるでしょうね。
そうでなければ、魔女狩りになるかもしれませんので・・・
あるいは、殺人事件で死刑反対論者とゴリゴリの右派が一緒になったとき、裁判員制度が機能するのか、法廷外で罵りあいになるのではと恐れています。
米国など、特許裁判にまで素人が口をはさむので、賠償額がとんでもないものになることがあります。大企業=悪=多額の損害賠償を課すべしという考え方ですが、こんなものは論理でも何でもないです。
また、欧米でやっているからという理由で各種制度を導入するのもそろそろ止めるべきです。
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