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リバタリアンの国家観

リバタリアニズムについて検討しています。

海外直接投資というのは、リバタリアニズムという考え方に結びつきやすいと思います。今は内容が薄いマニュアル本が多くなってしまいましたが、海外投資を楽しむ会の初期の作品群というのは、リバタリアニズム的な考え方に立脚していたように思います。

日本人には、リバタリアニズムという考え方を支持する人が少ないですが、今日山積している問題解決の糸口を見つけるためには、リバタリアニズム的な物の見方が必要であるのではないでしょうか?

リバタリアンにとって、
「国家」とは、多数の「私益」を寄せ集めて、これを「公益」と言いくるめる装置といえるでしょうか。

もう少し詳しく見てみると、
「立法府」とは、金になりそうな「私益」を見つけてくる国家部門。
「行政府」とは、「私益」を「公益」と強弁するための理屈付けをする国家部門。
「司法府」とは、国は「公益」を「私益」と強弁していると国民が騒いだときに、「公益」であると追認する国家部門。

「立法府」の仕事は、金になりそうな「私益」を見つけてくることですので、国会議員に頭の良さはあまり必要でなく、支持者も頭の良さは望んでいません。

「行政府」の仕事は、頭の良さが必要です。全く逆の概念である「私益」を「公益」と言いくるめるわけですから、頭が良くなくてはできない仕事です。ただ、前向きな仕事とはいえず、近年、人気の就職先ではなくなっているようです。

「司法府」の仕事は、影が薄いです。日本国民はあまり騒がないので、国は「公益」を「私益」と強弁していると主張する国民の絶対数が少ないからです。

問題が生じている場合には、現実と理想を正確に確定し、現実を理想に近づけていく作業が必要だと思いますが、憲法が予定している国家部門のあり方と現実はあまりにかけ離れているので、もはや現実を見ようとする意欲さえ湧いてこないようです。
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