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裁判員制度について考える-ファイナル

裁判員制度について検討してきました。予備知識がない全く新しい制度を、仕事の合間に考えてきたので、自分なりに納得できる結論が出るまでに、随分時間がかかりました。

元裁判官からも、様々な違憲論が提出されていますが、どうも納得できるものではありませんでした。そこで、自分の頭で色々と考えてみたところ、そもそも、こういう義務を法律で制定すること自体がおかしいのではないかと考えるに至りました。

もう少し詳しく説明すると、主権者としての国民に、国会が法律で義務を課すというのはおかしいのではないかということです。主権者というのは、国という組織の最高権力者であり、国会議員の権力は最高権力者である主権者から委ねられたに過ぎません。この場合、委ねられた権力の中に、主権者である国民に命令したり、義務を課したりする権限まで含まれているかということは重大な問題です。納税の義務の場合には、国民は主権者として義務を果たしているわけではありませんが、裁判員になる義務の場合には、国民は主権者として義務を果たしていることに注意すべきです。

憲法論としていえば、全体の奉仕者であるという理由で、公務員には、憲法が一般国民に保障しているレベルで人権が保障されていません。主権者としての国民は、国家という機関の構成員であって、公務員と同じ公人なので、裁判員にも、公務員と同じような守秘義務が課せられています。結局、国会が主権者としての義務を国民に課すことを許せば、憲法が一般国民に保障しているレベルを、法律によって下げることを許すことになります。

憲法論が分かりにくいというのであれば、下位の地位にある者が上位の地位にある者に命令したり、義務を課したりするのはおかしいという常識論で理解しても十分だと思います。

①主権者としての国民(例えば、裁判員)
 ↓
②国会
 ↓
③一般市民としての国民(例えば、納税者)

結局、国の最高権力者である主権者としての国民に義務を課すには、法的拘束力のある国民投票が必要だというのが結論でしょう。

(このシリーズは終了)


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コメント

民主主義信者たち

インターネット上の記事を眺めていると、裁判員制度賛成派に属する人たちは民主主義信者であることが少なくないようだ。そもそも、司法というのは、民主主義の限界を修正する役割を持っているはずだが、民主主義信者にとっては、そのようなことはどうでもよいことのようである。

民主主義を最も体現している国会が民主的手続きによって選任した総理大臣が必ずしも知性的でないことについて、民主主義信者はどのように説明するのだろうか?

「社会的常識に欠けると名指しされた職業裁判官と、一人一人を見れば、必ずしも知性に満ちているとも、常識があるとも思えない我々一般国民とが協力して、常識の範疇を超える恐るべき重大事件を裁くと、常識的な判決が下される」というのが裁判員制度の基本的考え方のようだ。そんな制度は非常識だと考える私には常識がないのだろうか?

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