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読まずに書評-そして殺人者は野に放たれる(新潮文庫)

相互リンク先のカルロス・ハッサンの今日の一言で、刑法39条について取り上げられていました。裁判員制度が開始された場合に、最も大きな問題を巻き起こすと考えられるのがこの刑法39条です。少し前ですが、刑法39条という名前の映画がありました。

条文を確認しておきますと、以下のとおりです。
第39条
 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

この条文に関する国民の関心は高いですが、条文そのものは非常にそっけないものです。要するに、物事の善悪の判断がつかない者が犯罪を犯しても無罪になるということです。この原則は、責任主義として近代刑法の大原則の1つとなっています。

他方で、この条文を乱用して、裁判官が無罪判決を乱発している、あるいは、検察官が(無罪判決をおそれて)そもそも起訴しないという状況があるようで、表題の書籍はその状況を告発したものです。アマゾンの商品説明には、「「心神喪失」の名の下で、あの殺人者が戻ってくる!「テレビがうるさい」と二世帯五人を惨殺した学生や、お受験苦から我が子三人を絞殺した母親が、罪に問われない異常な日本。“人権”を唱えて精神障害者の犯罪報道をタブー視するメディア、その傍らで放置される障害者、そして、空虚な判例を重ねる司法の思考停止に正面から切り込む渾身のリポート。」と書かれています。最近の事件としては、外資系金融マンの夫を殺害したバラバラ殺人事件の妻に無罪判決が言い渡されています。

確かに、殺人の故意と殺人が悪いことを認識することは理論的には区別されるべきですが、実際問題として、殺人が悪いことだと認識できない精神状態というのはごく例外的なもののはずです。一般人が納得できないのは、犯人が日常生活を営んでいたにもかかわらず、責任能力を問われる場面では、急に責任能力なしという判断になってしまうということです。妻がドメスティックバイオレンスに悩んでいたというのであれば、殺人であることを認めた上で、執行猶予をつければ済むことで(殺人罪であっても執行猶予をつけることは可能)、39条を適用するのは無理があるでしょう。

「法の極みは不法の極み」という法格言がありますが、殺人者のうち、無視できない割合が責任能力なしという判断で無罪放免されている(強制入院させることはある)という状況はまさにそれです。殺人に関しては、江戸時代のほうが合理的だったと思う方は少なくないはずです。

この状況が続くのであれば、敵討ちを復活させるべきでしょう。遺族は正常な判断ができなくなっているに違いなく、刑法39条が適用されるからです。


そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)
(2006/10)
日垣 隆

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<補足>
オオカミ少年さんから、以下のようなコメントをいただきました。

「そもそも殺人が故意かどうかであるとか、殺人が悪いことだと認識することは刑事事件を裁く上で重要とは思えないのですがどうなんでしょう?

人を殺したという仕様自体が罪なのであってそれが故意であってもなくても許されることでは無いので一律に罰が与えられるべきではないでしょうか?」

人を殺したという結果に着目すべきだという考え方は、有力な理論的支柱になり得ますし、論理的に誤っているとはいえないでしょう(現に、民事事件では、過失でも法的責任を負う。)。

法学者や哲学者は色々と難しい議論をするのでしょうが、結果のみに着目した場合の帰結が、主観も加味した場合の帰結より著しく不都合であるかどうかが庶民には重要だと思います。

①理論的には殺人未遂より過失致死の罪が重くなる-被害者が命を取り留めた場合の通り魔事件の犯人より、手術に失敗した医師が重く罰せられてしまう

②殺人罪と過失致死罪が同じ罪になる-自分が加害者になる場合に(車の運転をしていた場合など)、この結論でよいかどうか?民事事件と異なって、刑事事件には過失相殺という制度はないので、過失致死罪が極端に重くなってしまう。

③人命を失わせる危険が高い職業に就く人がいなくなってしまう-医師などが典型的で、現在問題になっています

④世の中が犯罪であふれてしまう-過失で人にぶつかった場合(過失暴行罪が成立)、過失で会社のものをもってきた場合(過失横領罪や過失窃盗罪が成立)、過失で他人の品物を壊した場合(過失器物損壊罪が成立)

⑤実際には、殺人罪の法定刑は広いので、仮に、過失致死罪と殺人罪を一本化しても、過失致死罪は軽く処罰され、殺人罪は重く処罰されることになり、結論に大差はないと考えられる。

⑥結果責任のみを問う考え方は、犯人も同じ結果で罪を購うべきだという極端な応報刑に結びつきやすい。

これらを総合すると、過失犯は原則処罰せず、重大な犯罪のみ過失犯を処罰し、過失犯を処罰する場合でも、故意犯より刑を軽くすることには十分な妥当性があるように思います。

理屈で納得できても、感情では納得できない点もあり、難しい問題です。

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コメント

裁判の不思議

法律素人なので的外れなコメントかもしれませんが素朴な疑問です。

そもそも殺人が故意かどうかであるとか、殺人が悪いことだと認識することは刑事事件を裁く上で重要とは思えないのですがどうなんでしょう?

人を殺したという仕様自体が罪なのであってそれが故意であってもなくても
許されることでは無いので一律に罰が与えられるべきではないでしょうか?
(犯人の人権とか再犯の可能性とかが絡んでくるのかもしれませんが)

刑事事件で犯人がわかっている場合は「罪の仕様」で罰を決めてしまえばわかりやすいと思います。
(この考え方だと殺人と過失致死罪は同罪となるのかもしれない)

犯罪行為を行う犯人の心中の状態は誰にもわからないわけでそれを第三者が判断して刑罰の重さを決めるのは変な気がします。

オオカミ少年さん

客観的な結果に着目すべきだという考え方は、突飛な考え方ではないと思います。難しい問題ですが、考え方を記事本文に捕捉しました。

スッキリ

わかりやすい補足をしていただきありがとうございます。
法律とは社会がうまくまわるための妥当性が必要だということですね。
確かに私が書いた方法では著しい不都合があると思います。

②の自動車の運転などについては想定していましたが他の例は検討不足でした。
①の例では医者の立場にしたら納得いかないですね。良かれと思って手術をして
「殺人罪」ってのはやりきれませんね。

③、④については気づきませんでしたが、社会全体として困ることになりそうですね。
実際、産科医が減っているとの話も耳にしますし。刑務所も足りないわけですし。

⑥については確かに気をつけなければいけない点だと思います。個人的にも。
社会全体として良い方向に向かうのであれば、感情的な面の公平性は必要無いのかもしれません。

ずっとスッキリしなかった点がよくわかりました。ありがとうございあました。

オオカミ少年さん

少しでもお役に立てたのであれば嬉しいです。

殺された者にとっては、加害者の責任能力や故意などは関係ないので、結果責任を問うというのは、犯罪を被害者側から見る立場といえるでしょう。

他方で、加害者側にも事情があるので、それを考慮するために、故意の有無などを検討する必要があるということですね。

刑法39条の乱用など、加害者側の事情の検討の仕方がいいかげんだと、加害者側の事情を検討する必要はないという意見が当然出てきますが、それもまた妥当ではないわけです。裁判所は、そういう意見が出てこないようにしっかりと裁判をすべきですね。

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