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均衡予算定理について その5

退屈なマクロ経済学の記事が続いていますが、ご容赦ください。

えんどうさんから紹介していただいた野口教授の記事に以下のような記述がありました。
ダイヤモンド・オンライン-「日銀引き受けで25兆円支出増」という思考実験-パンドラの箱を開けるより

----------------------------------------------------
まず問題になるのは、規模だ。すでに、2兆円の定額給付金の支給が決まっている。しかし、今後に予想される有効需要の落ち込みは、輸出だけでも10兆円程度のオーダーになる可能性がある。それに設備投資の落ち込みが加わるので、これまで日本経済が経験したことがない規模の需要縮小が生じる。GDPの0.4%でしかない2兆円程度では、まったく不十分である。

 意味がある政策のためには、GDPの数%、つまり10兆円を超える規模の拡大が必要である。たとえば、「GDPの5%に当たる25兆円程度を3年間で支出する」ということが考えられる。

 形態としては、減税や給付金では貯蓄に回る可能性が強いので、有効需要創出の観点から言えば、直接の政府支出が必要だ。

(中略)

もう1つ問題となるのは、「いかなる支出を行なうか」である。ただし、有効需要拡大が目的なら、これは、二義的な問題と見なされる。「どんな内容の支出であれ、国民経済計算上の有効需要となること」が必要なのだ。だから、極端なことを言えば、穴を掘って埋め返すだけの公共事業であってもよい。それが雇用を吸収し、経済全体の生産を増加させるなら、それで政策は成功ということになる。

(中略)

当然予想されるのは、無駄の著しい拡大だ。「どんな支出でもとにかく有効需要を拡大すればよい」ということになれば、たぶん真っ先に行われるのは、山の中の道路のような不要不急の公共事業であろう。用地買収等の手続きが必要ないため、手っ取り早く事業に取り掛かれるからだ。さらに、過剰能力をかかえる事業者が地域に存在するため、ただちに事業を開始することができるからである。
----------------------------------------------------


野口教授は、これまで自由主義的な考え方を基調としており、「ケインズ的なマクロ経済学はくだらないと考えてきた」という趣旨の記事も書いています。とすると、上記記事のような考え方は変節とも取れますが、昨今の景気の落ち込みを考えればやむを得ないということでしょうか?そうだとすると、「ケインズ的なマクロ経済学が必要な状況でないときには、ケインズ的なマクロ経済学は不要である」と発言していたことになり、野口教授は意味のないことを主張していたといえます。

これに対して、このブログで紹介してきた小野教授の指摘は、「ケインズのマクロ経済学そのものに致命的な論理的誤りがある」ということです。野口教授の記事は、ケインズのマクロ経済学の内容をそのままコピー&ペーストしているだけなので、「ケインズのマクロ経済学そのものに致命的な論理的誤りがある」という小野教授の指摘が正しければ、野口教授の記事にも致命的な論理的誤りがあるということになります。

例えば、野口教授の記事の中で、「形態としては、減税や給付金では貯蓄に回る可能性が強いので、有効需要創出の観点から言えば、直接の政府支出が必要だ」という記述があります。しかし、よく考えると、減税や給付金、失業手当も政府支出の一種なので、「有効需要創出の観点から言えば、直接の政府支出が必要だ」という記述はおかしいといえます。減税や給付金、失業手当が、公共事業を伴う財政出動と異なる点は、後者には、生産活動が伴うということです。従って、「有効需要創出の観点から言えば、直接の政府支出が必要だ」という記述は、「有効需要創出の観点から言えば、政府は生産活動を伴う事業に支出すべきだ」という記述に改められるべきです。しかし、これまた何度も指摘しているように、生産活動を伴う事業であっても、その生産物に価値がなければ何の意味もありません。「有効需要創出の観点から言えば、政府は生産活動を伴う事業に支出すべきだ」という主張はもっともらしく聞こえますが、冷静に考えてみると、「価値がない生産活動への政府支出」=「失業手当の給付」+「無駄な生産活動」に他なりません。

失業手当の給付に代えて、太郎の像を作製し、給料を払うということは、金銭の給付に加えて(この点は失業手当の給付と同じです。)、石を採掘したり、運送をしたり、図面を書いたりするなどの生産活動をするということです。生産物に価値がなければ、これらの活動そのものには意味はありません。石を動かす運動をしたり、ランニングをしたり、絵を描いたりする行為と相違はないわけです。

それでも、穴を掘って埋める行為や太郎の像作製に経済的意味があるというのであれば、失業して一見何もしていない人も生産活動をしていることになります。失業手当をわたすだけでは生産活動を伴わないから駄目だというのなら、失業手当をもらう人に、「私は東京から大阪に物を輸送し、その後で同じ物を大阪から東京に輸送しました。」、「私は太郎の像を作製しましたが、むかついたので、すぐに破壊しました。」といってもらえばいいわけです。有効需要の創出が概念的な生産をも含むのであれば、この人たちの行為も立派な生産といえるはずだからです。さすがにこれではおかしいというのなら、東京から大阪に物を輸送する人と、同じ物を大阪から東京に輸送する人とを別人にすれば、内容を考えないばらまきを有効需要の創出と考える理論と非常に接近すると思われます。

また、野口教授は「減税や給付金では貯蓄に回る可能性が強い」とおっしゃっていますが、これは乗数効果の否定です。お金を政府から民間に渡すという点では、減税や給付金と公共事業の支払いに違いはないので、公共事業にも乗数効果はないことになります。

不況の深化を受けて、付け焼刃的にケインズ経済を援用しているので、野口教授が何をいいたいのかさっぱり分かりませんでした。

ところで、小野教授の主張は、間違った理論に基づく政府支出は妥当でないというだけのことであって、政府支出をするなという主張でないことには注意が必要だと思います。
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