プロフィール

PALCOM

Author:PALCOM
Patent and Legal Com (HK) Ltd.

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

全ての記事を表示する

FC2カウンター

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

主権者と株主

裁判員制度について検討しています。実際、この制度が開始されて、メディアの関心も高まっているようです。賛成派も、反対派も、かなり感情的に議論しているようですが、良い方向にも、悪い方向にも、大きく変わらないだろうというのが率直な感想です。

裁判員になる義務が、主権者としての国民の義務だとすると、①主権者として国民は義務を負うのか?②仮にこれを肯定するとして、国会が主権者としての国民に義務を課すことが許されるのか?というのが本質的で重要な問いになると思われます。例によって、メディアは本質的な問いはスルーしていますが・・・。

権利と義務は一体であるという言葉を盛んに使用する保守系の政治家が多いです。「権利と義務は一体である」という言葉が正しければ、主権者としての国民には選挙権という権利が与えられているわけですので、選挙権という権利に対応する義務が主権者としての国民に課せられても問題ないということになります。

「権利と義務は一体である」という言葉は一般的には正しいと解されていることが多く、「権利を主張する前に義務を果たせ」などという使い方をされます。但し、「権利と義務は一体である」という命題は常に成り立つわけではなく、投資の世界でいうと、株主には義務がありません(出資義務はありますが、株主になるための義務であって、出資後には義務はありません)。

会社の所有者は誰かというおなじみの問いがありますが、会社の所有者が株主であることを否定したい人々には、義務のない者が所有者となることに対する本能的な不快感があるのかもしれません。

他方で、取締役には、会社に対する法的義務がたくさんあります。仮に、国と会社を同じような組織として考えると、以下のように比較できます。

主権者としての国民=株主=義務なし
国会議員=取締役=義務あり

国と会社を同列に並べることができるとすれば、「権利あるところに義務あり」という命題は、主権者としての国民に関しては自明なものではないということはできます。一方、国会議員を取締役にたとえることができるのであれば、「権利あるところに義務あり」という命題が成り立つのは、国会議員だということになります。「権利と義務は一体である」という言葉が好きな政治家が、この当りのことをどれだけ意識しているのか興味深いところです。

憲法の本が国民の義務に割いているスペースは半ページぐらいなので、主権者としての国民に義務があるのかどうかは、よく分かりませんが、国民を株主にたとえることができるのであれば、別になくても問題はないといえますし、実際問題として、主権者としての国民に課された義務は現行憲法にはありません。
スポンサーサイト

<< 早期リタイア後の贅沢な時間の使い方について考える その1 | ホーム | 本当に早期リタイアしたいのか? >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。